はっしーのゼロからCTO日記

とあるベンチャー企業で、知識ゼロからのCTO就任を目指すはっしーのブログです。技術・経営・その他思ったことを垂れ流します。

まずテクノロジーやITへの抵抗感を取り払おう。

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テクノロジーへの抵抗感。
 
ITへの抵抗感。
 
あるひと、多いんじゃないでしょうか?
 
「パソコン使えないんですー。」
Excelわけわからなくて~~」

 

 
に始まり、
 
「htmlってなあに?おいしいの?」
「プログラミングって難しそう」

 

 
このくらいならまだかわいげがあるんですが、
 
「一日中パソコンみながらニヤニヤしてるんでしょキッモ」
「人間味なさそうやだー」

 

 
なんてレベルになると、いたたまれない。
 
まあ、仕方ない面もありますよね。
 
そう思ってしまうのも、これまで「紙媒体じゃないとどうこうー」「パソコンは人間の仕事を奪ってどうこうー」なんて、さも「人間の敵」かのごとく扱いつづけられてきたから。
 

テクノロジーやITは、人間の敵ではない。

 
テクノロジーとかITってより、パソコンやらスマホタブレットやらの電子デバイス、メールやらのWebサービスの類い、クラウド上でのデータのやり取り、ちょっと難しいところにいくとhtmlやcssといったいわゆる「言語」など。
 
どうも「電子は敵!殲滅せよ!」って感じの人が多い。
 
これを敵に回すことがすでにオールドファッションドなのはいうまでもないんだけど、根強く残っていて、
 
どうも抵抗感があるらしい。
 
 

なんで?このままだとやばくない?

 
「なんだよお前ら、俺の知らないこと知りやがって」
「俺らが知らないことをやるな」

 

 
なんてのが、上の世代からは聞こえてきそうだが、そんなこともいってられない。
 
しかも、今「いやいやさすがにパソコンくらい使えるよ」って人も、実は危険。
 
よく考えてみてください。
 
2020年の教育改革で、小学校から英語とプログラミングが必修に。
 
と、いうことは。
 
「え、先輩、htmlもかけないんすか?」
「Cなんて常識ですよ?」

 

 
なんてことを言われるようになるんですよ?
 
いまのエンジニア職でさえ、優秀な若い層の流入で将来危機に瀕するのに、ましてやテクノロジーに抵抗感のある人なんて、ますます乗り遅れてしまう。
 
やることがなくなる。
 
できるのは「考える」ことくらい?
 
 
まあ、うちの企業もできる人いないから、僕がゼロからやってるんですけどね。
 
 

テクノロジーもITも、難しくない!

 
抵抗感のせいで離れているのは、もったいない。
 
上の世代の方々なら、たぶんクラウドあたりから。いちいち印刷するなって話。印刷しないでできることなんて、いっぱいある。
 
そして、いろいろ使ってみよう。
 
時代は、日に日に変わっている。
 
新しいサービスが毎日のように生まれている。
 

乗り遅れるの?

 
まずは、使ってみてください。
 
かんたんなホームページくらい、すぐに作れるような時代です。
 
もちろん、いわゆる「言語」がかければ仕事になるくらいなのですが、そうでなくても、いろいろ使ってみて、知ることが大事。
 
そうすれば、抵抗感なんて気にならなくなる。
 
抵抗感だけで触れないのは、もったいない。
 
簡単だから、ほんとに。
 
 
ちなみに、ワードプレスで記事流し込んでくれるインターン生、募集中です(それだけされても困るけど)。

続・理由がある行動に価値がある。

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↑ゆかちぃ登場。すごいよね、この人。
 
さてさて、まずはこちら。キングコング西野さんの本日のブログ。
 
 
いやあーさすがですね。
 
ぼくとおんなじこと言ってる。
 
は?という人は、こちらの記事を読んでね。先週かどこかの記事。
 
 
僕は、キングコング西野さんのように、京大卒の芸人の方に行動理由を突き詰められてこなかったので、すべての行動に理由を付けることがなかなかできなかったんですね。
 
いや、できなかったというか、そういう発想がなかった
 

でも、それがないとやってられないよ。

 
でも、こうやって会社を回していくメンバーになると、そういう発想がないとやってられないことに気づくわけです。
 
サイトのどこで説明文を入れるか?それはなぜ?
 
サイトのどこでリンクを入れるか?それはなぜ?
 
このブログだってもちろんそう。
 
 
なぜ西野さんのブログのリンクからスタートしたか?
 
なぜもう一度、このタイミングで続編を書いたのか?
 
 
すべて理由があります。
 

大事なことは、「理由を持つこと」で、「正しい理由を持つこと」ではない。

 
ここがよく勘違いされがちなんですが、行動理由が説明さえできれば、いいんです。
 
 
「ここに画像を置くとこう思うから、この次にはリンクを置こう」とか、
 
「こうだから、この時間にブログを更新しよう」とか。
 
 
別に、外部の人間が「それは絶対違うだろ!」というのは、構わないんです。
 
やった当人は、行動理由があるから。
 
こういう行動理由でやったけど、結果が出なかった。じゃあ、よくなかったんだ。次はこうしてみよう。
 
と、なるわけです。
 
ビジネスの世界では有名な「仮説検証」ってやつですね。
 
よくまあ「PDCA」なんて偉そうなこと言うけれども、ただ単に「行動理由」の答え合わせをしているにすぎないわけです。
 
行動理由すらなければ、答え合わせもできない、ということ。
 
今後、生きていくには、「行動理由」が必要になります。
 
世界は、変わります。
 
なぜ自分がその選択をしたのか?
 
説明できますか?
 
 
わが社でも、「人生の勝算」、流行っています。
 
人生の勝算 (NewsPicks)

人生の勝算 (NewsPicks)

 

 

 前田さんが「勝算」なんて言い切れるのも、行動理由があるから。
ぜひ読んでみてくださいな。

価値を与えるという視点。

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今日、渋谷にて。
 
夏ですね。暑いですね。僕は日中脳が溶けて沸騰しています。どろどろ。
 
こんな真夏にクーラーガンガン効かせてくれるカフェ各位には頭が下がる一方です。お陰で家から出られます。
 
はてさて、喫茶店も図書館も、クーラーガンガン効かせて人を集めますよね。
 

なんで人が集まるんでしょ?

 
別に、「人を集めるくらい有名だから」集まる訳じゃないですよね。
 
これは、影響力ってやつ。
 
詳しくは、この記事を見てね。
 
 
んで、カフェもアルファツイッタラーも、別に初めから人を集めていた訳じゃない。
 
そう、「影響力がある→価値を与える」じゃなくて「価値を与える→影響力を持つ」
 
(正確には、そのサイクルなんだけど、先に来るもの、スタートが「価値を与える」だということ。)
 
はじめはみんな、フォロワーゼロからなんですよね。
 
ほら、はじめはみんな下手くそだったんだよ、とかいうよくあるあれ。
 

じゃあどーして、それだけ影響力を集められるようになったの?

 
ここからがキモ。
 
影響力がある、ということは、
 
  1. 「みんなが見る」という前提。
  2. 「彼の言うことは正しい」という信頼。
 
じゃ、どうやってその両方を集めるのか?
 
変なことすれば目立つし、いろんな人の目に留まるけど、後者がない。
 
「犯罪すれば有名になれんじゃん!」のパターン。
 
有名≠影響力なのは周知のこと。
 
信頼ばかり積もっていても、自分から外にでなければ、それが知られることはないし、仕事を受けてばっかり。
 
これも違うよね。
 
 
そこで出てくるのが、「価値を与える」という視点。
 

価値を与えるということ。

 
価値ってなに?それは「助かる」もの。
 
もらって人生がプラスになるなら、それは価値。
 
身の回りにそういうものを常に与えてくれる人がいたら、応援するし、よく動向をチェックするし、なにか逆に頼まれたら応えるよね。
 
そういうこと。
 
価値を与えるってことばかりをしていけば、みんなに「あの人は◯◯をしてくれる!」ということで、信頼はもちろん得られるし、いつの間にか評判がたっている。
 
これが「影響力」のできかた。
 
 

価値を与えよう

 
もちろん、与えるだけじゃだめだけどね。キモいじゃん、「ぜんぶあげるよ!ぼくはなにもいらないさ!ハハッ!!」みたいな。あんた大丈夫?となるよね。
 
こういう話するとすぐそういう「あげるあげるー」になるんだけど、ちゃんと対価ってのも大事。死んじゃうもんね、それがないと。
 
このへんは昨今問題の「買い叩き」の話にも繋がるけど、またこんど。
 
みんなもやってみよう。
 
 

ちなむと……

 
商売なんてのは基本的に、「価値を与える」ことで成り立ってるんだよね。
 
それをもっと見えるように!と頑張ってるのが、天下のGoogleさん
 
この記事を読んでくれればわかる。
 
あと、これ。
 
難しいことが書いてあるようだけど……
 
 
要は、「読む人のことを第一に考えたサイトは、検索で上の方にもってって、より見られるように応援するよ!」
 
ということ。
 
うちのサイトも、がんばってます。
 
 
なによりまず「読者がほしい内容」「読者にとっての見やすさ」。
 
そんなメディアを作りたい人は、ぜひ見に来てね。
 
大学生(以下)のインターン、募集中らしいので。
 
コメント欄かフェイスブックか何かで、どうぞ。
 
※他事業へのお誘いは、お断りしています。あしからず。

お金の勉強。

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日本人は、お金の勉強をしなさすぎる。
 
日本に眠っているお金は◯◯円。
 
これらのお金を動かすだけで、世界は変わる。
 
とかいう大きな話をする気はありません。
 

お金の使い方、どこで学ぶの?

 
世の中の大人は、どこでお金の使い方を身に付けるのだろう。
 
学校では、少なくとも教わらないじゃないですか。
どうして家計簿をつけるの?とか、なぜレシートをもらうの?とか。
 
手取りって何?所得税って?とか。
 
どうやってお金が動いてるの?
 
株って何?FXって何?とか。
 
知らない人は多いはず。
 

なぜ?浸透しないお金の教育。

 
なぜ浸透しないのか?
 
やっぱり、「お金儲けは、汚い」なんてイメージがつきまとう?
 
子供がどうお金を使うかわからない?
 
 
うまく解決する方法はないものだろうかね。
 
 
持っている価値を、ちゃんとお金に変えられている日本人って、少ない気がする。
 
それって大事なことじゃないですか?でも。
 
価値を与えれば、成果が得られる。
 
当たり前じゃないですか。
 
HUAWEIが40万出すって話題だけど、それだけの価値があるから出すわけじゃんね。
 
いままで日本では、そうした計りにくい価値がきちんと評価されてこなかったんだね。
 
その「当たり前」をちゃんと実現させたい。
 
 
かくいう僕は、お金を作らないとサークルの合宿にも、会社の出張にもいけませんけどね。
 
だからといって、バイトで時間をお金にするのもなにか違うし。
 
うーん。
 
 
とりあえず、お金の計算をしてこなかった過去の自分に喝。
 
お金ほしい。

影響力とバカとハサミは使いよう

影響力

 

水曜日は川崎です。週1の満員電車。いい加減に完全リモートに移行しようかしら。

生産性が上がるのは、場所のせいではなく、「その日に何を終わらせるか」の宣言。

 

 

さて、本題。影響力の話。

 

影響力とは何ぞ?

 

ツイッターとか、いますよね。

いわゆる「アルファツイッタラ」と呼ばれる種族。

アルファツイッタラとは?

 

www.weblio.jp

 

Weblioにまとまるくらいの単語なんですね(びっくり)

まあこれがフォロワー何人なのか、という定義はよくわからないので、ここでは「10,000人」以上いると仮定しますね。

 

んで、たとえば10,000フォロワーを抱えるアカウントなら、そのうちアクティブなフォロワー(捨てアカウント、釣りアカウントではなく、ユーザーがいて、ログインしているアカウント)が8,000くらいと仮定しましょうか。


となると、ひとつツイートするだけで8000人に届くわけですよ。

 

 

8000人。

 

 

その辺の高校の校長、大学の学長なんて比じゃないくらい、多くの人と通じてますよね。

 

これって、影響力?

ここで気になるのが、「これってほんとに影響力?」ということ。

 

なんかちがうよね。

 

影響力 = 「行動が変わった度合い」×「行動を変えた人数」

かな、と。


あくまで個人定な定義ですが。

影響力、ってのは、どれだけ人の行動を変えたか、そしてそれでどれだけの人が変わったか、で決まると思うんですね。

と、いうことは。

 

例えば、ですよ。もし仮にの話ですが。

さっきのアルファさんが、例えば、飲み会のコールで醜態を晒す他人の動画を拡散した場合、

どう測ればいいんでしょうね?

 

果たしてその動画は、人の行動を変えるのか?

 

イッキイッキしてる動画が人の行動にまで影響を及ぼすかといわれると微妙ですが、、、

 

2次創作がいまどきの流行りなので、ニコニコ動画とかでMAD作品とか弾き語りが流れている時点で、影響はありますよね。

 

いっぽうで、そんな人が「選挙にいこう!」と行ったところで、何人が行くかは怪しいところ。

 

逆に、これだけフォロワーがいれば、「ツイッター上で実名さらしたりするとかまじないわー」とかいうツイートをしただけで、全く関係ない人も「やば、私のことかも」といってツイートを消し消しするかもしれない。

 

まあ、ともなれば、

つぶやく内容の善悪・良し悪し・量にかかわらず、ある程度フォロワーを抱えていれば、大なり小なり影響力はあるといえるわけですね。

(((フォロワー数=影響力ではないことに注意)))

 

 

じゃあ、その影響力、どう使う?

さて、影響力を持ってる人は一定数いるなかで、

 

「あなたくらいの人は影響力があるんだからゴニャゴニャ」

「あなたの影響力がどれだけの人にゴチャゴチャ」

 

 

と、言われる場面はよくみるわけでっさ。

「なんじゃそら」って話で。

わざわざリプライしてまで「あなたは影響力があるんだからピーピー」ってのは、とんだお門違いだと思っているわけです。

 

影響力がある、ってだけで、行動が制限されるのはやでしょう。

さすがに、自分がやったことでどれだけ拡散されるか、どれだけ影響力が及ぼされるかなんて、わかったうえでやっていること。それが制限されるのは、はなはだギモン。

 

せっかく影響力を得た人は、ふんだんにそれを使ってほしいわけです。

 

それを影響力のない他者(影響力が「ある」他者ならまた話は違いまっせ)がとやかく言うのは、顰蹙。

とはいえね、使い方ってものはある。

影響力の使い方、なんて安っぽいけれども、やっぱりどうせ使うならいいように使いたいよね。

 

ナントカとハサミは使いようと言うけれども、影響力なんて世界を変えるくらい大層なもんなんだから(これは歴史を見ればよくわかるよね)、逆にいってしまえば使い方でいくらでも世の中に価値を与えられる

 

影響力で悪どいことをしたやつの将来なんてたかがしれている。価値を与えていれば、必ずその見返りはもらえる。それなら、価値を与えた方がいいじゃん

 

せっかく影響力があるんだから。

萎縮させたってどうしようもない。

(まあ、影響力がある人は、そんな萎縮なんて微塵も気にしないもんだけども)

 

と、ツイッターをみてふと思ったので。

 

 

 

 

 

追記:でも実は。。。

影響力がある→価値を与えられる

じゃなくて

価値を与えている→影響力をもつ

なんだよね。

 

これはまたいつか。

 

最近長くなる傾向。短い文を書きたい。

理由がある行動には価値がある

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理由がない行動には価値がない
 
と、いうのもまた違う気がするけど。
 
順番としては
 
×そもそも行動しない
 
△理由なく行動する
 
◯理由をもって行動する
 
かな。
 
もちろん、求められるのは結果だけど、それは、必ずしも「成功」という結果ではない
 
その場では失敗に見えても「結果」なわけだ。
 
何年たっても、最終的に成功すれば、その失敗は「結果につながる」ことだから、何の無駄でもない。
 
何をするにしても、「こうすればうまくいくんじゃないかな?」「こうしてみたらどうだろう?」というふうにやってみることは、基本的にすべてOKすることにしている。
 
それが今までにない画期的なことでも。
 
それに対して「尚早だ」とか「どうせうまくいかない」とか、「こっちのほうがいいに決まってる」とかとやかく言う人がいたとしても、それを経てトータルで向上するなら、いいんじゃないかな。
 
それがダメだったら、来年戻せばいいじゃない。
 
むしろ、理由なく「今まで通りだから」という理由で変えていないほうが、危険。
 
というマインドで、運営をするときも、事業をするときも、やっています。
 
もちろん一緒に仕事をする仲間にも、浸透させています。
 
 
わかる人にはわかるかな?と思います。
 
いまやってる会社でも、別のプロジェクトでも、そういう「理由をもって、試験的にやってみる」マインドの人が多いので、とても助かるし、やり易いです。
 
それで批判されても別に、気にしなくていいでしょ。
 
考えてやってるんだから。
 
と、最近思います。

本を買うということ。本を売るということ。

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こんばんは、はっしーです。
 
昨日、自社メディア記事のネタ探しに新宿のブックファーストをふらついていたんですが、
 
いやー、読みたい本のオンパレードですね。
買いたくなるなる。
 
Twitterとかでもたまに目にする、「もし◯◯が~~を書いたら」シリーズです。
 

 

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

 

 

 
村上春樹(風)の前書きに始まり、カップ焼きそばの作り方を夏目漱石安部公房とか名だたる文豪たちが書いているわけですよ。
 
さらには、カップ焼きそばを愛するカップラーメンの営業マンに「文春砲」がぶっ放される。
 
立ち読みで面白かったので、買おうかなと。
 
 

何の話してたっけ

 
 
別に本の話をしに来た訳じゃないんです。
 
そんな本屋で思ったこと。
 
 
人間はいつ本を買うのか?
 
なぜ本を買うのか?
 
 
別に、情報を集めるだけならネットでもいいじゃん。
 
無料だし。
 
まあ、ネットリテラシーやら「ググれカス」問題については今度触れるとしても、本より圧倒的に使いやすいし、今後の発展性がある。
 
情報も更新され続ける。
 
では、なぜ本が売れるのか?
 
わが社も本を出しているけれども、なぜ出しているのか?
 
電子書籍が出始めた頃から「紙媒体は減る」といいつつ、(むろん斜陽ではあるのかもしれないけれど)いまなお売れ続けている。
 
本が売ってある理由を考えてみました。
 

1.本にしかない表現

 
ネットが「視覚×聴覚」のメディアだとすれば、本は「視覚×触覚」のメディアとでも言おうか。本の手触り、突起。
 
絵本とかなら、分かりやすいですよね。
 
飛び出す絵本とか。
 
 
キンコン西野さんの「えんとつ町のプペル」も、ネットで無料公開してもなお売れたのは、紙ならではの「絵のきれいさ」「画材の質感」に価値があったから。
 
幼い子供がターゲットにいればなおさら、触覚は重視されますね。
 
 

2. 信頼と宣伝

 
今までのはどちらかと言えば子供向けだったり、特殊な本の場合。
 
こちらは、もっと話を広げて、ビジネス的な話。
 
参考書コーナー、受験生時代に買い漁った人も多いのではないでしょうか。
 
なんで、各予備校はこぞって本を出すのでしょうか?
 
自分たちの塾で教えていることなんだから、本にしちゃったらみんなそれで満足しちゃうじゃん。
 
でも、たとえば名の知れていない、聞いたこともないような塾と、
 
あれだけ本を出している某塾と、
 
どちらにみなさんいきますか?
どちらに子供を通わせますか?
 
悲しいかな、後者のほうが圧倒的に目につくんですね。
 
なぜか?
 
実は、教育と「本」には密接な関係があるんですね。
 
教育では、本を出しているということで、ある種の「信頼」につながる。
 
塾の営業かけるときも、見える形で信頼と実績が作られやすいから、重宝するんですね。
 
もちろん、サイトのクオリティとか、ネットの情報もひとつのツールです。
 
でも、やっぱりこれまでの日本の文化は「本」。
 
本が信頼、という人もまだまだ多いんです。
 
 

3. 思考の言語化

 
こんどは買う側を想定してみましょう。
 
いくらこういう戦略を「売る側」が持っていたとしても、買うかどうかはわからないですよね。
 
それでも、なぜ「本」を買うのか?
 
なぜかわからないけど、これは個人的な感覚で、
 
Web媒体より本のほうが、思考の言語化がうまくいくような気がするんですよね。
 
そんな経験、ないですか?
 
初めて知ったのはWeb上とか人づてとかだけど、それをしっかり整理して、言語化してくれたのは本だった、みたいな。
 
だって、勉強するときだって、
 
講義を受けて、そのあと教科書で確認したり、参考書で演習したりするわけじゃないですか。
 
定着と言語化には、本。
 
もしかしたら、なにかあるのかも。
 
ないのかも。
 
錯覚か。
 
 
しらね。
 
 
でも、なんかそういう感じしませんか。
 
本で、お金と時間をかけて、しっかり読み解く。
 
手間がかかる分、余計な作業が入る分、記憶に残る、ということかも。
 
 

そんなこんなで

 
まあ、いろいろあって、本って、売れちゃうんですね。
 
売る側も、依然として広告になりえるから売るし、買う側も、しっかりした知識を得ようと思えば買う。
 
本屋そのものがひとつ、暇つぶしの場所になっているのもあるかも。
 
また今度、しっかり整理してみます。
 
 
第3のビールとからし高菜が尽きたので、寝ます。
 
おやすみなさい。