影響力とバカとハサミは使いよう
水曜日は川崎です。週1の満員電車。いい加減に完全リモートに移行しようかしら。
生産性が上がるのは、場所のせいではなく、「その日に何を終わらせるか」の宣言。
さて、本題。影響力の話。
影響力とは何ぞ?
ツイッターとか、いますよね。
いわゆる「アルファツイッタラー」と呼ばれる種族。
アルファツイッタラーとは?
Weblioにまとまるくらいの単語なんですね(びっくり)
まあこれがフォロワー何人なのか、という定義はよくわからないので、ここでは「10,000人」以上いると仮定しますね。
んで、たとえば10,000フォロワーを抱えるアカウントなら、そのうちアクティブなフォロワー(捨てアカウント、釣りアカウントではなく、ユーザーがいて、ログインしているアカウント)が8,000くらいと仮定しましょうか。
となると、ひとつツイートするだけで8000人に届くわけですよ。
8000人。
その辺の高校の校長、大学の学長なんて比じゃないくらい、多くの人と通じてますよね。
これって、影響力?
ここで気になるのが、「これってほんとに影響力?」ということ。
なんかちがうよね。
影響力 = 「行動が変わった度合い」×「行動を変えた人数」
かな、と。
あくまで個人定な定義ですが。
影響力、ってのは、どれだけ人の行動を変えたか、そしてそれでどれだけの人が変わったか、で決まると思うんですね。
と、いうことは。
例えば、ですよ。もし仮にの話ですが。
さっきのアルファさんが、例えば、飲み会のコールで醜態を晒す他人の動画を拡散した場合、
どう測ればいいんでしょうね?
果たしてその動画は、人の行動を変えるのか?
イッキイッキしてる動画が人の行動にまで影響を及ぼすかといわれると微妙ですが、、、
2次創作がいまどきの流行りなので、ニコニコ動画とかでMAD作品とか弾き語りが流れている時点で、影響はありますよね。
いっぽうで、そんな人が「選挙にいこう!」と行ったところで、何人が行くかは怪しいところ。
逆に、これだけフォロワーがいれば、「ツイッター上で実名さらしたりするとかまじないわー」とかいうツイートをしただけで、全く関係ない人も「やば、私のことかも」といってツイートを消し消しするかもしれない。
まあ、ともなれば、
つぶやく内容の善悪・良し悪し・量にかかわらず、ある程度フォロワーを抱えていれば、大なり小なり影響力はあるといえるわけですね。
(((フォロワー数=影響力ではないことに注意)))
じゃあ、その影響力、どう使う?
さて、影響力を持ってる人は一定数いるなかで、
「あなたくらいの人は影響力があるんだからゴニャゴニャ」
「あなたの影響力がどれだけの人にゴチャゴチャ」
と、言われる場面はよくみるわけでっさ。
「なんじゃそら」って話で。
わざわざリプライしてまで「あなたは影響力があるんだからピーピー」ってのは、とんだお門違いだと思っているわけです。
影響力がある、ってだけで、行動が制限されるのはやでしょう。
さすがに、自分がやったことでどれだけ拡散されるか、どれだけ影響力が及ぼされるかなんて、わかったうえでやっていること。それが制限されるのは、はなはだギモン。
せっかく影響力を得た人は、ふんだんにそれを使ってほしいわけです。
それを影響力のない他者(影響力が「ある」他者ならまた話は違いまっせ)がとやかく言うのは、顰蹙。
とはいえね、使い方ってものはある。
影響力の使い方、なんて安っぽいけれども、やっぱりどうせ使うならいいように使いたいよね。
ナントカとハサミは使いようと言うけれども、影響力なんて世界を変えるくらい大層なもんなんだから(これは歴史を見ればよくわかるよね)、逆にいってしまえば使い方でいくらでも世の中に価値を与えられる。
影響力で悪どいことをしたやつの将来なんてたかがしれている。価値を与えていれば、必ずその見返りはもらえる。それなら、価値を与えた方がいいじゃん。
せっかく影響力があるんだから。
萎縮させたってどうしようもない。
(まあ、影響力がある人は、そんな萎縮なんて微塵も気にしないもんだけども)
と、ツイッターをみてふと思ったので。
追記:でも実は。。。
「影響力がある→価値を与えられる」
じゃなくて
「価値を与えている→影響力をもつ」
なんだよね。
これはまたいつか。
最近長くなる傾向。短い文を書きたい。