はっしーのゼロからCTO日記

とあるベンチャー企業で、知識ゼロからのCTO就任を目指すはっしーのブログです。技術・経営・その他思ったことを垂れ流します。

お金の勉強。

f:id:mastah:20170701002609j:plain
 
 
日本人は、お金の勉強をしなさすぎる。
 
日本に眠っているお金は◯◯円。
 
これらのお金を動かすだけで、世界は変わる。
 
とかいう大きな話をする気はありません。
 

お金の使い方、どこで学ぶの?

 
世の中の大人は、どこでお金の使い方を身に付けるのだろう。
 
学校では、少なくとも教わらないじゃないですか。
どうして家計簿をつけるの?とか、なぜレシートをもらうの?とか。
 
手取りって何?所得税って?とか。
 
どうやってお金が動いてるの?
 
株って何?FXって何?とか。
 
知らない人は多いはず。
 

なぜ?浸透しないお金の教育。

 
なぜ浸透しないのか?
 
やっぱり、「お金儲けは、汚い」なんてイメージがつきまとう?
 
子供がどうお金を使うかわからない?
 
 
うまく解決する方法はないものだろうかね。
 
 
持っている価値を、ちゃんとお金に変えられている日本人って、少ない気がする。
 
それって大事なことじゃないですか?でも。
 
価値を与えれば、成果が得られる。
 
当たり前じゃないですか。
 
HUAWEIが40万出すって話題だけど、それだけの価値があるから出すわけじゃんね。
 
いままで日本では、そうした計りにくい価値がきちんと評価されてこなかったんだね。
 
その「当たり前」をちゃんと実現させたい。
 
 
かくいう僕は、お金を作らないとサークルの合宿にも、会社の出張にもいけませんけどね。
 
だからといって、バイトで時間をお金にするのもなにか違うし。
 
うーん。
 
 
とりあえず、お金の計算をしてこなかった過去の自分に喝。
 
お金ほしい。

影響力とバカとハサミは使いよう

影響力

 

水曜日は川崎です。週1の満員電車。いい加減に完全リモートに移行しようかしら。

生産性が上がるのは、場所のせいではなく、「その日に何を終わらせるか」の宣言。

 

 

さて、本題。影響力の話。

 

影響力とは何ぞ?

 

ツイッターとか、いますよね。

いわゆる「アルファツイッタラ」と呼ばれる種族。

アルファツイッタラとは?

 

www.weblio.jp

 

Weblioにまとまるくらいの単語なんですね(びっくり)

まあこれがフォロワー何人なのか、という定義はよくわからないので、ここでは「10,000人」以上いると仮定しますね。

 

んで、たとえば10,000フォロワーを抱えるアカウントなら、そのうちアクティブなフォロワー(捨てアカウント、釣りアカウントではなく、ユーザーがいて、ログインしているアカウント)が8,000くらいと仮定しましょうか。


となると、ひとつツイートするだけで8000人に届くわけですよ。

 

 

8000人。

 

 

その辺の高校の校長、大学の学長なんて比じゃないくらい、多くの人と通じてますよね。

 

これって、影響力?

ここで気になるのが、「これってほんとに影響力?」ということ。

 

なんかちがうよね。

 

影響力 = 「行動が変わった度合い」×「行動を変えた人数」

かな、と。


あくまで個人定な定義ですが。

影響力、ってのは、どれだけ人の行動を変えたか、そしてそれでどれだけの人が変わったか、で決まると思うんですね。

と、いうことは。

 

例えば、ですよ。もし仮にの話ですが。

さっきのアルファさんが、例えば、飲み会のコールで醜態を晒す他人の動画を拡散した場合、

どう測ればいいんでしょうね?

 

果たしてその動画は、人の行動を変えるのか?

 

イッキイッキしてる動画が人の行動にまで影響を及ぼすかといわれると微妙ですが、、、

 

2次創作がいまどきの流行りなので、ニコニコ動画とかでMAD作品とか弾き語りが流れている時点で、影響はありますよね。

 

いっぽうで、そんな人が「選挙にいこう!」と行ったところで、何人が行くかは怪しいところ。

 

逆に、これだけフォロワーがいれば、「ツイッター上で実名さらしたりするとかまじないわー」とかいうツイートをしただけで、全く関係ない人も「やば、私のことかも」といってツイートを消し消しするかもしれない。

 

まあ、ともなれば、

つぶやく内容の善悪・良し悪し・量にかかわらず、ある程度フォロワーを抱えていれば、大なり小なり影響力はあるといえるわけですね。

(((フォロワー数=影響力ではないことに注意)))

 

 

じゃあ、その影響力、どう使う?

さて、影響力を持ってる人は一定数いるなかで、

 

「あなたくらいの人は影響力があるんだからゴニャゴニャ」

「あなたの影響力がどれだけの人にゴチャゴチャ」

 

 

と、言われる場面はよくみるわけでっさ。

「なんじゃそら」って話で。

わざわざリプライしてまで「あなたは影響力があるんだからピーピー」ってのは、とんだお門違いだと思っているわけです。

 

影響力がある、ってだけで、行動が制限されるのはやでしょう。

さすがに、自分がやったことでどれだけ拡散されるか、どれだけ影響力が及ぼされるかなんて、わかったうえでやっていること。それが制限されるのは、はなはだギモン。

 

せっかく影響力を得た人は、ふんだんにそれを使ってほしいわけです。

 

それを影響力のない他者(影響力が「ある」他者ならまた話は違いまっせ)がとやかく言うのは、顰蹙。

とはいえね、使い方ってものはある。

影響力の使い方、なんて安っぽいけれども、やっぱりどうせ使うならいいように使いたいよね。

 

ナントカとハサミは使いようと言うけれども、影響力なんて世界を変えるくらい大層なもんなんだから(これは歴史を見ればよくわかるよね)、逆にいってしまえば使い方でいくらでも世の中に価値を与えられる

 

影響力で悪どいことをしたやつの将来なんてたかがしれている。価値を与えていれば、必ずその見返りはもらえる。それなら、価値を与えた方がいいじゃん

 

せっかく影響力があるんだから。

萎縮させたってどうしようもない。

(まあ、影響力がある人は、そんな萎縮なんて微塵も気にしないもんだけども)

 

と、ツイッターをみてふと思ったので。

 

 

 

 

 

追記:でも実は。。。

影響力がある→価値を与えられる

じゃなくて

価値を与えている→影響力をもつ

なんだよね。

 

これはまたいつか。

 

最近長くなる傾向。短い文を書きたい。

理由がある行動には価値がある

f:id:mastah:20170626141804j:plain

 
理由がない行動には価値がない
 
と、いうのもまた違う気がするけど。
 
順番としては
 
×そもそも行動しない
 
△理由なく行動する
 
◯理由をもって行動する
 
かな。
 
もちろん、求められるのは結果だけど、それは、必ずしも「成功」という結果ではない
 
その場では失敗に見えても「結果」なわけだ。
 
何年たっても、最終的に成功すれば、その失敗は「結果につながる」ことだから、何の無駄でもない。
 
何をするにしても、「こうすればうまくいくんじゃないかな?」「こうしてみたらどうだろう?」というふうにやってみることは、基本的にすべてOKすることにしている。
 
それが今までにない画期的なことでも。
 
それに対して「尚早だ」とか「どうせうまくいかない」とか、「こっちのほうがいいに決まってる」とかとやかく言う人がいたとしても、それを経てトータルで向上するなら、いいんじゃないかな。
 
それがダメだったら、来年戻せばいいじゃない。
 
むしろ、理由なく「今まで通りだから」という理由で変えていないほうが、危険。
 
というマインドで、運営をするときも、事業をするときも、やっています。
 
もちろん一緒に仕事をする仲間にも、浸透させています。
 
 
わかる人にはわかるかな?と思います。
 
いまやってる会社でも、別のプロジェクトでも、そういう「理由をもって、試験的にやってみる」マインドの人が多いので、とても助かるし、やり易いです。
 
それで批判されても別に、気にしなくていいでしょ。
 
考えてやってるんだから。
 
と、最近思います。

本を買うということ。本を売るということ。

f:id:mastah:20170624002338j:plain

 
こんばんは、はっしーです。
 
昨日、自社メディア記事のネタ探しに新宿のブックファーストをふらついていたんですが、
 
いやー、読みたい本のオンパレードですね。
買いたくなるなる。
 
Twitterとかでもたまに目にする、「もし◯◯が~~を書いたら」シリーズです。
 

 

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

 

 

 
村上春樹(風)の前書きに始まり、カップ焼きそばの作り方を夏目漱石安部公房とか名だたる文豪たちが書いているわけですよ。
 
さらには、カップ焼きそばを愛するカップラーメンの営業マンに「文春砲」がぶっ放される。
 
立ち読みで面白かったので、買おうかなと。
 
 

何の話してたっけ

 
 
別に本の話をしに来た訳じゃないんです。
 
そんな本屋で思ったこと。
 
 
人間はいつ本を買うのか?
 
なぜ本を買うのか?
 
 
別に、情報を集めるだけならネットでもいいじゃん。
 
無料だし。
 
まあ、ネットリテラシーやら「ググれカス」問題については今度触れるとしても、本より圧倒的に使いやすいし、今後の発展性がある。
 
情報も更新され続ける。
 
では、なぜ本が売れるのか?
 
わが社も本を出しているけれども、なぜ出しているのか?
 
電子書籍が出始めた頃から「紙媒体は減る」といいつつ、(むろん斜陽ではあるのかもしれないけれど)いまなお売れ続けている。
 
本が売ってある理由を考えてみました。
 

1.本にしかない表現

 
ネットが「視覚×聴覚」のメディアだとすれば、本は「視覚×触覚」のメディアとでも言おうか。本の手触り、突起。
 
絵本とかなら、分かりやすいですよね。
 
飛び出す絵本とか。
 
 
キンコン西野さんの「えんとつ町のプペル」も、ネットで無料公開してもなお売れたのは、紙ならではの「絵のきれいさ」「画材の質感」に価値があったから。
 
幼い子供がターゲットにいればなおさら、触覚は重視されますね。
 
 

2. 信頼と宣伝

 
今までのはどちらかと言えば子供向けだったり、特殊な本の場合。
 
こちらは、もっと話を広げて、ビジネス的な話。
 
参考書コーナー、受験生時代に買い漁った人も多いのではないでしょうか。
 
なんで、各予備校はこぞって本を出すのでしょうか?
 
自分たちの塾で教えていることなんだから、本にしちゃったらみんなそれで満足しちゃうじゃん。
 
でも、たとえば名の知れていない、聞いたこともないような塾と、
 
あれだけ本を出している某塾と、
 
どちらにみなさんいきますか?
どちらに子供を通わせますか?
 
悲しいかな、後者のほうが圧倒的に目につくんですね。
 
なぜか?
 
実は、教育と「本」には密接な関係があるんですね。
 
教育では、本を出しているということで、ある種の「信頼」につながる。
 
塾の営業かけるときも、見える形で信頼と実績が作られやすいから、重宝するんですね。
 
もちろん、サイトのクオリティとか、ネットの情報もひとつのツールです。
 
でも、やっぱりこれまでの日本の文化は「本」。
 
本が信頼、という人もまだまだ多いんです。
 
 

3. 思考の言語化

 
こんどは買う側を想定してみましょう。
 
いくらこういう戦略を「売る側」が持っていたとしても、買うかどうかはわからないですよね。
 
それでも、なぜ「本」を買うのか?
 
なぜかわからないけど、これは個人的な感覚で、
 
Web媒体より本のほうが、思考の言語化がうまくいくような気がするんですよね。
 
そんな経験、ないですか?
 
初めて知ったのはWeb上とか人づてとかだけど、それをしっかり整理して、言語化してくれたのは本だった、みたいな。
 
だって、勉強するときだって、
 
講義を受けて、そのあと教科書で確認したり、参考書で演習したりするわけじゃないですか。
 
定着と言語化には、本。
 
もしかしたら、なにかあるのかも。
 
ないのかも。
 
錯覚か。
 
 
しらね。
 
 
でも、なんかそういう感じしませんか。
 
本で、お金と時間をかけて、しっかり読み解く。
 
手間がかかる分、余計な作業が入る分、記憶に残る、ということかも。
 
 

そんなこんなで

 
まあ、いろいろあって、本って、売れちゃうんですね。
 
売る側も、依然として広告になりえるから売るし、買う側も、しっかりした知識を得ようと思えば買う。
 
本屋そのものがひとつ、暇つぶしの場所になっているのもあるかも。
 
また今度、しっかり整理してみます。
 
 
第3のビールとからし高菜が尽きたので、寝ます。
 
おやすみなさい。

泥臭くても、地を這ってでも、結果を出す。

f:id:mastah:20170621140914j:plain

寝坊しました。寝坊すると電車も混雑した時間に乗らざるを得なくなるので、よくないですね。東京は消耗します。

ここ数日の学びを。

メディアの戦略について、少しずつ考えられるようになってきました。よきよき。

 

これはまあいいのですが、 うちは出来立てホヤホヤ、あつあつのベンチャーである以上、人は足りないわけですよ。どこにいっても。どのポジションであっても。 これは不変の真理。

となると、大事になるのが、 その限られたリソースをどう配分していくのか。

ここで試されるのが、責任者の手腕な訳です。

 

企業の目指す方向性、ファイナンス、ソーシャル両面のビジョンにもっともインパクトを与える事業にうまく配分しないといけない。

このときに、同輩・後輩の教育なんてのも考えないといけない。

 

これって難しいんですよね、案外。

打順を決めるみたいで楽しいですけど、かかってるのが今後の会社の命運な訳で。

それを一手に担うとなると、ブルブル震えているわけですよ、もうブルブル。

 

ブルブル。、 、、

 

 

で、まあ、そういうときに何が大事かって話。

 

ここできちんと結果を出せるかどうかの分かれ目となるのが「俺がやるんだ」「地を這ってでも結果を出すんだ」というマインド。

 

結果のために必要なのが結果を出すというマインドって、それ答えになってるのか?といわれるかもしれませんが、 案外、これが的を射ている。

 

まあ、これが自分だけ(もしくは自分がCEO)でやってて、しかもいい年食ってるのであれば、いくらずぼらなはっしーでも地を這うようになるわけですよ。生きていくためには結果が必要だから。

 

これを、組織ナンバースリーの身でしっかり持てるかがカギ。 しかも、生来「ま、いいか」「ここができなくてもなんとかなるっしょ」のマインドで生きてきた身としては、なかなか難しいんですね。

困難にぶつかったり、どうしようもない状況になると、「まあ、この目標は最悪達成できなくてもなんとかなるでしょ」というふうに迂回してきたわけですさ。 しかもこれで何とかなってたわけだから、たちが悪い。 貯金をするにしても、ゲームをするにしても、勉強をするにしても。

 

そこで、宣言するに至る。

 

今後、地を這ってでも結果を取りに行くと。

 

心が折れても。

 

友達がいなくなっても。

 

新卒カードを捨ててでも。

 

他のどんなカードを使ってでも。

 

 

結果を、取りに行く。

 

 

PS

別に生きている限りすべてにおいてこんなストイックに生きるわけではないので、安心してください。 結果にかかわるところでシビアに生きていくだけです。 京浜東北、荷物を前にかかえて乗っていると腰がいたくなりますね。 丸ノ内線でバイトの後輩を見かけた気がします。 では。

CTOって、何?

 

f:id:mastah:20170619120438j:plain

どうも。phpの悪夢に苛まれているはっしーです。勝手に湧いてくるメタタグは滅びてほしい。

はい、で、何の話かというと、CTOって何?ってことです。 ブログタイトルにあるくらいですから、大事なワードなわけですよ、それは。

でも、CTOとは? と聞かれると、なかなか説明できないんですね。 僕も。 とりあえず、この本を読んでみました。

社長、ウチにもCTOが必要です

社長、ウチにもCTOが必要です

社長、ウチにもCTOが必要です

 

 

うーんわかんね。 まあ、ググればCTOとは、みたいなのは出てくるんですけど、 いちおう定義しておきますね。

CTOの定義

最高技術責任者の意。自社の技術戦略や研究開発方針を立案、実施する責任者のこと。オフィサー制度のなかの役職の一つで、製造業やIT業界など、技術力がコアコンピタンスである企業においてはCEO(最高経営責任者)、CFO(最高財務責任者)などと並んで極めて重要な役割を持つとされる。実際にCTOの肩書を持つ人の役割は会社によって異なり、しばしば技術部門や研究開発部門の長を意味する。ただし、チーフ・オフィサーは本来的にはラインに属さない“経営者”であり、米国のMOT(技術経営)の観点ではその実践者、最高責任者と位置づけられる。

出典|ASCII.jpデジタル用語辞典(コトバンク)

はい、終わり。

要するに、「会社によって違うよ。開発のラインには乗るというより、経営者に近いよ。」ということ。

でも、この定義、結局何するねん、となるわけです。

CTOに求められているもの

 

これは個人的な意見というか、弊社においてどういう人物になるべきか、どういうCTOになるべきか、ってところから逆算しただけなので、世の中のCTOとはちょい違うかも。 ここでは3つほど。

1, コードがかけるだけではダメ

これは当たり前ですよね(コードすらかけないお前は何なんだ、というのはナシで)

コードが書けるというだけなら五万といるわけで、それはただのエンジニア。 じゃあ何ができるかって、経営になるわけです。

2、経営目線ですべて考えられる。

ただコードを書いてるだけじゃなくて

  • このコードはなんで必要なのか
  • なぜこのコードを学んでいるのか
  • このサイトを作ることで何ができるのか

とかとか。全部そこから逆算して動いているわけです。

コードを勉強したり、ワードプレスでカタカタしたりは、あくまでツールの一つ。

そのおおもとに「何のためにこれをやっているのか」「ここからどう売り上げにつなげているのか」を考えることがポイント。

3、提案できる

ここが一番難しい。 CXO(Xは任意のアルファベット)である以上、経営にしっかり携わらないといけないわけです。

ということは、経営陣(トップがCEO、その次がCOO、といった感じにうちではなっています)に対してしっかり釘をさせる・会社の方針にプラスになることを提言できる、そういうポジションにならないといけないわけですよね。

 

こんなところでしょうか。
いろいろ並べてみたけど、まだまだなり切れていないのが事実。 技術目線の最高責任者として(メディア運用している会社なので実質的にものすごいコアなところにいることになるんですが)会社を支えていく、いや動かしていけるようにならないといけないところです。

今日はこの辺で。

ルールを決めました

こんにちは、はっしーです。
 
まっ昼間にブログ更新してあほみたいですが、やります。
 
 

ブログを書くときのルールを決めよう

 
・原稿用紙1枚以上
 
・週3回(月水金)
 
・見出しをつける
 
・無駄な装飾はしない
 
・写真を必ず入れる
 
・伝えるブログにする

 

 
 
 

なぜ決めたのか?

 
 
これ、結構やってない人が多いんじゃないですか?
 
こういう思考垂れ流し型のブログ(Cf.アフィリエイト型・フロントエンド型ブログ)は、バックを何も持っていないので、ついつい「気分で」更新をしがち。
 
でもそれじゃ、よくないなと思って。
 
 

1、伝わらない

 
いくら思考垂れ流し型ブログといったって、本当に思考を垂れ流しているだけでは、もはやブログではない。
 
そんなのを書いている時点でサーバーの無駄遣いなんおで、世界の貧しい子供たちに分けてあげたほうがよっぽど最大多数の最大幸福に貢献している。
 
ブログとしてwwwのプラットフォームにのっかっている以上、伝える責任がある。
 
でも、適当に更新していたら、届くものも届かない。
 
 

2、時間の無駄

 
基本原理は1と同じ。そのベクトルを僕自身に向けたもの。
 
だって、わざわざブログなんて書いてても時間の無駄じゃん。
 
どうせ時間を無駄遣いして書くなら、きちんとルールを決めて、撤退のライン、ブーストのラインを決めておく。
 
 

3、つまらない

 
なにより、ルールを決めないと更新しない。
 
学校行かなくてもいいよ、別にルール決まってないし。で、いかない人もいるでしょう(ここで「いかないでしょう」ではないのがミソ)。
 
ミソ汁が飲みたい。
 
間違えた。
 
ルールを決めないと、僕は更新しないので、ルールを大本営発表したということです。
 
守ってなかったら、いってください。
 

f:id:mastah:20170616112425j:plain

 
では、おやすみなさい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寝ないけど。